私が死んだら…
2010年3月11日って想像をよくする。
おとんは確実に落ち込む予定。
普段はつれないけれどね。
息子は相当落ち込むはず。
でも、本人に聞いてみると、
おとんが死んだほうが落ち込むと思う。だって…
おとんとはたくさん話してないから、とのこと。
私とはたくさん話したから悔いはない?!
ちょいと嬉しい言葉。
娘はどうだろう。
実は娘には軽い知的障害がある。
ん~小学校低学年くらいの感じかな。
これまで私の父とおとんの祖母(ひいばあちゃん)の死を
経験しているので死ぬということは理解している。
ときどき、じいちゃん今頃天国で何をしているかなぁ、
なんて言っていた。
私が死んでも身の回りのことができるように
仕込まなくっちゃと常々思う。
で、葬儀の時に流す曲はさすがにファンモンってわけには
いかないから、せめて好きなクラッシックの曲を流したい。
でも、それを誰がわかっていてくれる?
用意すると途端に死にそうだし…
それと、ドナーになろうたいと思ってる。
ずいぶん前にNHKで心臓移植を待っている青年が
明るくけなげに屈託なく生きている姿に心を動かされた。
それまで、自分なりに移植のことを理解しようと
本を数冊読んだけれど、結論に至らなかった。
私はこれまで幸せに生きてこれたから
あ、その青年が不幸だというわけではなく、
ただ、ただ…そう感じた。
でも、まだドナーカードを持っていない。
家族には言っているけれど、ちゃんと持ってなくちゃね。
今度みかけたら、持ち帰る。
でも、思いのほか長生きをしたら、想像と違ってくるなぁ。
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